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好きこそ物の上手なれ!

様々な専門職業分野における、専門知識やノウハウと一体となった倫理的思考を広く職業倫理と呼びます。それぞれに携わる技術者が個人としてのモラルのみならず、技術が社会や自然に及ぼす影響や効果は、技術者が社会に対して負っている責任として十分理解していることが重要だと考えます。

「倫理」については普段、あまり考えもしないですが、ある事がきっかけで少し考えてみたいと思いました。

倫理の方向性は、一般に自らの内心の自由に向かう主体性の下で構築される個人の倫理観と、社会との関係性の中で発揮される行動原理の基盤となる倫理観の二重性に特徴があり、結局のところ両者の統一が最終的な課題であるという事は言うまでもありません。こうあらねばならない。や、~よりはマシだから良い。など定まらない事が多々あります。

つまり、自己の内なる声を含めて、いかに倫理観による正しい人の道といったあり方を唱えても、最後はその人が現実にどう振る舞うのか。という、問題に帰着します。行為や行動に結びつく鍵となるのが、様々な分野で年齢等にかかわらず繰り返し学ぶという事が大切だと考えます。

普段携わる職業や実務のなかで、繰り返し行われるような実践的な技術者倫理が鍛えられている一方、それに対峙するような他の強力な選択肢、例えば組織の倫理、ビジネスの倫理、競争原理や消費者の倫理等々と拮抗した場合、行動原理として第一に公衆の安全や健康、福祉、他者への配慮などに適うか否か、という判断こそが最優先のルールであり倫理的基盤になると思います。

しかしながら、これらの異なる倫理は、形成された背景などにより少しずつ方向性が違い、相互に整合性がとれているわけではない為、自己のうちに抱え込むなどで心の葛藤が生じてきます。したがって、技術者の倫理観の倫理綱領などによる対社会・非専門家への情報開示やアカウンタビリティの積極的な実践によって、多様な倫理観に対しても少しずつ共有を通じて共感を広げていくことがなによりも肝心だと思います。

建築士をはじめとする各分野の技術者は、企業等に雇用されるなど組織技術者も多くいます。組織や集団の倫理から個人の倫理へと社会環境がシフトされていくなかで、技術者が企業の利益などを代表するのみでは、責任の主体にはなり得ないし、また隠蔽体質なども乗り越える行動がなければリスクコミュニケーションも成立しません。それでは技術者倫理そのものが無力化してしまいます。

個人的な事ですが先日、数十年連れ添った愛猫が急逝しました。各専門家から非専門家への重層的かつ段階的な知見と対応や処方、充分な説明や情報開示とリスクコミュニケーションによる意思疎通が不足していることにより、他者への耐え難い苦痛を与えてしまうこともあります。また最近流行の不動産投資などにおいても、購入した後こんなはずでは無かった。また、安かろう良かろうなどと言う言葉は成立せず、表面的なものに流され中古物件を購入してしまう消費者をよく見ます。

様々な専門職が公共の福祉のあるなかで、利潤の確保や社会的な信用維持など、また様々な倫理観があるなかで不都合な情報やリスク、隠蔽体質や責任の曖昧化による弊害等を最小限にするために、先ず積極的なコミュニケーションと問題意識や課題の開示や共有と共感をもつことで、リスク回避をはかりつつ、その問題解決に向けて行動することが大切だと思います。

ある偉大な建築家がこう述べているのを引用させていただきたいと思います。「時代が変われば人間も変わることも事実です。しかし人間が人間である限りにおいて変わらぬ面だってなければなりません。」

建築家、建築士は本来は非商業的な職業人であると捉え、こうした職能人にとっては、あらゆるものの束縛をうけない自由人としての決断が仕事の基本であって、「自由な精神のもとで公共の福祉に奉仕するという本来の職能を果たす」という性格が内在することによって、すなわち真の職能人であることの価値や意義を理解する人々に支えられた倫理的人間として、社会における人々の健康、安全、福祉を実現する建築家、建築士として有り続けることに他ならないのではないか。と。

仕事とはビジネスであり、個人的には嫌いな言葉です。ビジネスにより本来の何かを失う事や犠牲もあると思います。「いっそ全てが福祉であれ」などと訳の分からない言葉が頭をよぎったりもしてしまいます。人が人として自分の良心に従いたいと強く思います。